ローザンヌ滞在記:32日目

12/19、金曜日。快晴!

今日もぐうたら。とは言っても、昨晩が遅かったせいなんやけど、11時起床。さっさと準備して出発。ランチ集合時間に間に合わず、ぼっち飯。無性に食べたしタイカレー。昨日のまずいインドカレーのせいでしょう。

そして驚くべきことに、スイスのタイカレーはホントに美味しい。スイスのタイカレーってタイカレーではないんやけどね、多分。タイカレーをモデルにしたスイス料理と呼びたい。昼飯1500円なんて普通普通。帰国したら金銭感覚とりもどさねば。

オフィスに戻って作業。25日は結局、ユトレヒトからやってくるスイス人の友人(とその友達)とバーで飲むことに。モンペリエの友人からのメール等にセコセコ返信していると、14時からのセミナーに誘われる。スピーカーは、とてもよくしてくれる友人E.L.。おお、行こう行こう。未発表データだから内容はここには書けないが、素晴らしい着眼に基づく研究だった。ちょっと遠い分野で異なる手法を用いている僕にとっても、素晴らしいと解るくらい。

オフィスに戻ると、S.P.とC.L.とのお茶に誘われる。誘われたら断らないのがポリシーなので、すいすいと着いて行く。そこで昨日の話の続き。やっぱり、外国語(あるいは非母語)を介して、自分の脳みそに人々の関係性とか友情とかをインプットすることは、まだまだ僕には難しい。それは、文化的な要因。外国語技能的な要因。そして、そもそもの僕の個的な要因。これらが交絡している。最後のは、たとえば、誰と誰の仲が良い・悪いといったことに、僕があまり感心がないことを指す。そういったものを総じて僕は「ゴシップ」と呼んでいるし、こっちのヒトもそう呼んでいるのだけど、飛び火するリスクがあまりに大きい。その最たる例は、恋愛だろう。「こころ」の「先生」は、「恋は罪悪ですよ?」と言っていた。「先生」が言うと、意味深長だ。愛は罪悪ではないのだ。しかし恋は罪悪だ。先生は自身を愛していなかったが、奥さんのことは愛していたし、奥さんに恋をした。

ローカルには様々な人間関係があるのだ。だがそれはここには書けない。たとえ彼ら彼女らが日本語を読めないとしても、僕に出来るのは、読める・読めないに関係なく、それを明文化しないということだ。それが敬意だろう。しかし、秘密というのは、秘密であるという事実が明らかになった時点で、半分、秘密である意義を半分失ってしまう。そこに関しては、ニュートラルな意味で「色んな人間関係がある」というのを、そもそもの前提にして頂ければよいように思う。

そのもとで、僕は、人間関係を含め、他者の噂は、するべきではないと思う。他者の噂をおおっぴらに(=in publicに)する人は、この世で最も信頼できない人間だと考えている。他者の噂を自分の前でする人は、自分の噂を他者の前でしている。他人という自分の表層を切り売りする、ブローカーのようなものだ。もちろんしかし、親密度にもよるだろう。すくなくとも、C.L.とS.P.のことは、心の底から信頼している。

他者の噂を自分にする人への対処は至って簡単だ。自分の情報、友人の情報を明け渡さないこと。「必ず嘘をつく人」は「むしろ信頼できる人」であるのと同じように。自分の情報を切り売りする人は、明確なシグナルを放ってくれている。そういう人は、他社の情報を売りさばくことで、自分の情報を守っている。

そして最近の僕は、アドラー心理学にすっかり染まってしまっている。。人は、自分の目的を達成するために、感情さえも利用できる。僕は、自分がこの世界をきっちり理解するために、自分の感情を利用している(完全にではないけど)。

ちなみにお茶してる時に、モロッコ旅行に誘われた。。。いきたい。。。。いってみたい。。。。。

で。

お茶室では、Bon vacancesといった挨拶が飛び交う。なんだか寂しくなってくる。オフィスに戻る。C.L.が挨拶に来る。またね〜♪と。S.P.と食堂で晩飯を食べる。本当は今日はS.P.たちと映画に行く予定だったけど、僕は後から誘われたので、映画のチケット売り切れ。。。残念すぎる。謝られたけどS.P.悪くないから、楽しんできて!と笑顔で見送った。

ホリデーは寂しい。作業をしながらも、ちょっとした孤独感に。人は、孤独を感じるためには他者を必要とする。他者が存在しないならば、そもそも孤独という概念すら生じないのである。。。

その後、帰宅して蟲師を観て、ゆっくり就寝。

その前に、STAP細胞の時事ネタ。理研の対応はそれこそ、様々な人間関係や利害がはたらいたことを「明確に暗示」している。研究者の世界というのは、それほどまでに、クリーンではない。